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2010年10月
今朝の日経新聞のコラムにアップル社に関する記事がありましたので、一部紹介させていただきます。日本経済新聞記事 「一目均衡」 (編集委員 西條郁夫氏)より
Olivia Newton John
オリビア ニュートン ジョン
彼女がメジャーデビューして今年が40年目。
私たちの世代で外国のアイドル歌手と言えば、
オリビアではないでしょうか。
クリスタルボイスと称された彼女の透明感のある歌声は、
とても魅力的で、容姿端麗なルックスは世界中の男性を虜にしました。
私も中学生の時に彼女のファンになり、ポスターを部屋の壁に貼ったり、
透明の下敷きに彼女の写真の切り抜きを挟んで、
授業の合間に眺めていました。過ぎさりし思い出です^^。
2003年に彼女の来日コンサートに行く機会がありまして、
生の歌声を初めて聴きました。
50歳代の年齢にもかかわらずレコード(CD)と変わらないくらいの
透明感のある美声を保っているのには驚きました。
ライブの彼女はとってもチャーミングで素敵な年の取り方をしているのが伺えました。
さて、日本で一般的に知られている(馴染みのある)彼女の曲といえば、
Have you never been mellow (邦題 そよ風の誘惑)
Jolene
Country road
あたりだと思いますが、
私がおすすめするアルバムは Don't Stop Believin'(邦題 たそがれの恋)です。
1. Don't Stop Believin' |
2. A Thousand Conversations |
3. Compassionate Man |
4. New-Born Babe |
5. Hey Mr. Dreammaker |
6. Every Face Tells A Story |
7. Sam |
8. Love You Hold The Key |
9. I'll Bet You A Kangaroo |
10. The Last Time You Loved |
10月9、10、11日は久しぶりの3連休になりましたので、
中日に日南海岸をドライブすることにしました。
宮崎市内から南バイパスを走り、最初の休憩地点の堀切峠(青島)へ
太平洋が一望できる堀切峠は県内でも人気の観光スポットです。
気持ちよい青い空と青い海。宮崎の海はとびっきり美しい。
眼下に見えるのは鬼の洗濯岩(波状岩)。
日南市へ向かうR220号線
続いて、 日南市 油津港近くの砂浜。
車から降りると 潮の香りがします。
伊豆方面の海岸の景色と似ていて、個人的にはお気に入りのスポットです。
日南市を南下し、南郷町 道の駅へ 南郷町観光協会
この風景も伊豆の海岸線に似ています。シーカヤックやダイビングには最適でしょう。
Song for drive ♫ Christopher cross - sailing Arthur's Theme
「売り手よし、買い手よし、世間よし」という「三方よし」の経営理念で、
江戸時代に商いを展開した近江商人(現在の滋賀県)。
成熟した日本の社会の中で商いを伸ばして行くためには、
この近江商人の経営理念が、とても重要な意味を持つことに気づきました。
絶対的な物不足の時代には、市場が求めている商品を作りさえすれば
それほど苦労することなく商品は売れました。
しかし現在の日本の様に、モノが隅々まで行き渡り、
人々のモノに対する欲求の度合いや価値観が多様化する中で、
お客様に選んでいただける商品を作って行くには
大変な時代になったと感じます。
商いに王道があるとすれば、
それは「三方よし」の精神ではないでしょうか。
商品を売っている私にもよいけれど、それを買ってくれる人にもよいし、
また社会の役にも立っている。
この理念に当てはまる物やサービスを継続して提供できる企業は
時代が変わっても社会から必要とされ続けることでしょう。
成熟した木材業界の中で、私たちが生き残って行くためには、
「三方よし」の理念に合致した商品を社会に提供できるかどうか
が重要な鍵になります。
その答えはまだ霧の中に隠れてはっきりと見えていませんが、
進むべき方向性は見定めたいと思います。
以下 近江商人についての説明文を(財)滋賀県産業支援プラザのHPから一部抜粋させていただきました。
「商取引においては、当事者の売り手と買い手だけでなく、その取引が社会全体の幸福につながるものでなければならないとう意味での、売り手よし、買い手よし、世間よしという「三方よし」の理念は、近江商人の経営理念に由来する。
旧国名を近江という現在の滋賀県に属する地域からは、江戸時代から明治期にわたって、近江商人と呼ばれる多くの大商人が次々に出現した。彼らは近江に本宅を構え、行商の初期には上方の商品と地方物産の有無を通じる持下(もちくだ)り商いに従事し、資産ができると要地に複数の出店を築き、産物廻しという持下り商いの大規模化した商法を出店間で実施して、さらに大きな富を蓄積した。近江商人という人々は、地元の近江を活動の場とするのではなく、近江国外で活躍し、原材料(地方物産)の移入と完成品(上方商品)の移出を手がけ、現在の日本の経済と経営を先取りするような先進的な商人達であった。
近江国外での他国行商を本務とした近江商人は、行商先の人々の間に信用という目に見えない財産を築いていかなければならなかった。持下り商いは、一回きりの売込みではなく、自分が見込んだ国や地域へ毎年出かけ、地縁や血縁もないところに得意先を開拓し、地盤を広げていかなければならないのである。
異境を行商してまわり、異国に開いた出店を発展させようとする近江商人にとっては、もともと何のゆかりもなかった人々から信頼を得ることが肝心であった。その他国商いのための心構えを説いた近江商人の教えが、現代では「三方よし」という言葉に集約して表現されるようになったのである。 「三方よし」の直接の原典となったのは、宝暦4(1754)年に70歳となった麻布商の中村治兵衛宗岸(そうがん)が15歳の養嗣子に認めた書置(かきおき)のなかの次の一節である。
たとへ他国へ商内に参り候ても、この商内物、この国の人一切の人々、心よく着申され候ようにと、自分の事に思わず、皆人よき様にと思い、高利望み申さずとかく天道のめぐみ次第と、ただその行く先の人を大切におもふべく候、それにては心安堵にて、身も息災、仏神の事、常々信心に致され候て、その国々へ入る時に、右の通りに心ざしをおこし申さるべく候事、第一に候
この条文は以下のように読み解くことができる。
他国へ持下り商いに出かけた場合は、持参した商品に自信をもって、その国のすべての人々に気持よく使ってもらうようにと心がけ、その取引が人々の役に立つことをひたすら願い、損得はその結果次第であると思い定めて、自分の利益だけを考えて一挙に高利を望むようなことをせず、なによりも行商先の人々の立場を尊重することを第一に心がけるべき である。欲心を抑え、心身ともに健康に恵まれるためには、日頃から神仏への信心を厚くしておくことが大切である。
「三方よし」の原典となったこの条文は、明治になってから井上政共編述『近江商人』のなかで、「他国へ行商するも、総て我事のみと思わず、その国一切の人を大切にして、私利を貪(むさぼ)ることなかれ、神仏のことは常に忘れざるよう致すべし」と、簡潔に要約されている。まさに「三方よし」の精神以上に、近江商人の到達した普遍的経営精神を示すものはないといってもよいであろう。」
(三方よしの理念 出典 財団法人滋賀県産業支援プラザホームページ )