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今週 弊社工場の休憩所にあるトイレを掃除した。
これまでは、女性社員に毎日掃除してもらっていた。
それが当たり前のことであるかのように。
あることがきっかけとなり、今週から掃除のシステムを見直そうと考えた。
休憩所のトイレは、トイレをつかう男性社員自身で掃除をしてはどうかと、
社員に提案してみたところ、意外にも!?すぐに了承してくれた。
それなら、先ず話を持ち出した私が最初にしなくてはいけないと思い、
休憩所にある2カ所のトイレ掃除にとりかかった。
掃除をするうちに、少しでもきれいにしたいという気持ちとやる気が
ふつふつとわき起こってきた。
自分でも驚きである。
洗面台、便器、壁、パーティション、掃除する以上は
中途半端では終えたくないので、一生懸命になって磨いた。
そのうち、手に石けんをつけて、小便器や壁を磨き始めた。
不思議と汚いという感じはなく、きれいにする喜びの方が大きかった。
義務感で行動していたならば、この”喜び”に気づくことはなかったでしょう。
主体的な発想は大きな成果を産むことを学びました。
そして、トイレ掃除をすることでわかったことが二つ。
1つ トイレ掃除は人の心をきれいにする。
2つ トイレ掃除は人の器を大きくする。
ここまで出来るのなら、何だってやれそうな気がする。
そういう気持ちが芽生えてきた。これからも続けていきたい。
そう言えば、
松下幸之助氏が自転車店で小僧生活をしていたころの経験をもとに、
講演で次のようなことを話されました。
『寒中、氷の張るようなときに拭き掃除をするということは、非常につらいことであります。
しかし、「こういうこのつらいことが、やがて成功のもとになるんだ」と先輩が言うておる
と、こう考えてみますと、それは辛抱ができるんであります。
辛抱ができるからそのことが身につくんであります。
ただ、嫌で嫌でしゃあないというだけであれば、その苦労は身につかないと思います。
しかし、そう言われているから辛抱する、辛抱するからその技術なりそういうことが
身につくんであります。そうすると、苦痛が少なくなってまいります。
苦労も希望に変わってまいります。
そうしてみると、一つの掃き掃除にいたしましても、
掃き掃除はどうしてやるべきもんであるかということが分かってくる。
だんだんと高い一つの仕事、技術というようなことになってまいりますと、
水の絞り方いかんということ以上に、私はむずかしいところのコツというものが
あろうかと思うんであります。
科学的な学理と申しますか、理論と申しますか、
そういうものをほんとうに生かすためには、それを基盤とした一つのコツというもの
を会得しなくちゃならんかと思うんであります。』
中略
今日といえども、何らみずからの努力をせずして、また精神を集中せずして、
そして、あるコツをつかめるということはできないと思います。
やはり、一つのことに精神を打ち込んで初めて、そのような境地を得るとでも
申しますか、ある一つの技術を会得するという境地を得ると申しますか、
私はそうだと思うんです』
以下つづく
*後日談
トイレ掃除はいまでも皆で続けています。
床の汚れている部分を右から、左から、斜めから
何度も何度もブラシでこすっています。
早く元の綺麗な色に戻ることを願いながら。
トイレを一生懸命になって磨き続けることは、同時に人の心も磨いているような
気持ちになります。磨き続けた証が、その人の心の財産になることでしょう。
何事に取り組むのも、日々の積み重ねが大切ですね。
この年になってトイレ掃除の奥深さを学んだ私です><。
*後日談2
何度も何度もブラシで擦ってみても、床タイルが綺麗にならないのを見かねて、
社員が電動サンダーの先に金属ブラシを付けて、磨いてくれた。
すると、頑固な黒ずみが落ちて、かなり綺麗になった。
後は、毎日、毎日磨き続けて行けば、元の輝きを取り戻すことでしょう。
トイレが綺麗になって、とてもいい気分です。