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2010年07月
西都原古墳群に咲くたくさんのヒマワリ
西都市が口蹄疫からの復興への願いを込めて
シンボルの花として6月に植えたそうです。
ヒマワリの花言葉は「あこがれ」「光輝」「熱愛」「崇拝」
西都市 商工観光課では
「口蹄疫で暗くなったまちが元気に、光り輝くようになって欲しい。太陽に向かって育つ
ヒマワリのように復興に向けてまっすぐ進んでほしい。」
との思いを込め種をまいたとのこと。
太陽に向かって咲くヒマワリは、見た人を元気づけてくれることでしょう。
西都市の心遣いは本当にうれしいですね。
太陽に向かって咲く向日葵。 日差しをいっぱいに浴びて、元気に育つ人のようにも見えます。
撮影日 7月25日 西都市 西都原古墳群)
「風の男」 白洲次郎 1902 - 1985
わずか2行の遺言書
一、葬式無用
一、戒名不用
次郎は、義理で人が集まるような葬式を嫌った。
彼の言葉通り、葬儀は行われず、遺族だけが集まって
弔いの酒盛りをした。
享年83歳
最後まで自分の主義を貫いたのである。
白洲次郎
そのすべてが並外れた日本人であった
180cmを超す長身、際立った美貌。
1919年、17歳でケンブリッジ大学に留学した彼は、
勉学に励む一方、クルマの虜になる。
自由を満喫し、「オイリーボーイ」の青春を送った。
(英国留学時代 親友のロビン(右)とともに 車はブガッティ)
英国紳士としての教養とマナーを身につけて、
日本語よりも英語を得意とし、自己のたてた「プリンシプル」(原理原則)
に厳格で、また、「プリミティブな正義感」の持ち主だった。
いつどんな時も、誰に対しても毅然とした態度を貫いた。
20世紀という激動の時代を生きた次郎は、やがて、
戦後日本の命運を預かる重要な役割を担うことになる。
1945年8月30日、連合国最高司令官ダグラスマッカーサーが
厚木基地に降り立つ。6年間に及ぶ日本の占領時代の始まりである。
鶴川の農家で畑仕事に精を出していた次郎は、
一転、ワンマン宰相・吉田茂の片腕として日本政府とGHQとの交渉にあたり、
日本の独立と復興に全力を尽くす。
次郎43歳
高圧的なGHQの高官に対して、
少しもひるまず、見事なキングス・イングリッシュを駆使して
堂々と渡り合った。
日本は戦争に負けたのであって、奴隷になったわけではない。
戦後、日本政府とGHQ(連合国総司令部)とパイプ役を勤め、
新憲法制定で重要な役割を果たした。
49年には貿易庁(後の通産省)の長官に就任。
51年には吉田茂首相に随行し、サンフランシスコ講話会議で
英語で予定されていた演説を日本語に変えさせた。
講和会議から帰国した後、
「僕は、政治家じゃない」と言って、一線から退き、
政治の舞台に二度と登場することはなかった。
白洲次郎(平凡社)
日本の戦後復興のために尽力した白洲次郎は、
本当に気骨ある人であった。
たとえ相手が総理大臣であったとしても、
原理原則から外れた行動にたいしては、「No」と言った。
財政、外交、教育、多くの問題を抱えている現在の日本を変革できる人は、
白洲次郎のように、私利私欲を持たない高邁な志をもった人であろう。
我が国の国会議員や官僚の中に、目先の利益にとらわれることなく、
国家100年の計のヴィジョンを描き、国民を正しく導くことのできる人材を
見つけることは出来ないのだろうか?
1980年、自宅前で愛車ポルシェと。
次郎は80歳の頃までハンドルを握り続けた。
これほどまでに白いナローポルシェが似合う日本人は
他にはいないでしょう。
ただただカッコいい。
ようやく南九州にも梅雨明け宣言(20日)がでました。
空には夏雲が浮かび、強烈な日射しが照りつけています。
(宮崎市 橘通り)
(宮崎市 赤江浜)
トイレの神様 ♪ 植村花菜
さっき初めて聴いたばかりの曲です。
心にしみ入るよい歌でした。
トイレの神様
この齢になって
いるような気がしています。
ひとりひとりの心に中に。
(右 植村花菜さん 左 南 美布さん)
P.S.
南 美布(みぶ)さんは J-WAVEのNavigator (DJ)をつとめています。
美布さんのトークは最高です。
宮崎でも一時期 J-WAVE がON AIRされていましたが、
放送が終了となってしまい残念です。いつか再開できるとよいのですけど。。。
不確実な時代だからこそ
脇目もふらず
信じた道を突っ走れ!
自らの意志で、自らの力で
進み続けることに、
人生の価値がある。
私の人生の応援歌
人生を語らず 歌手 吉田拓郎
P.S. 高校生当時聴いていた吉田拓郎。今聴いても新鮮です。
初めて行ったコンサート(会場 旧宮崎市民会館)が拓郎であり、
初めて握手してもらった歌手が吉田拓郎でした。
拓郎の手のひらは厚かった。
思い出に残る青春の一ページ。
おまけ
どうしてこんなに悲しいんだろう(71年Version)
このVerは初めて聴きましたが、構成がシンプルでいいですね?
ギターのカッティングが心に響きます。