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南三陸町役場防災対策庁舎屋上から撮影した津波の写真
(南三陸町ホームページより)
数ある津波の写真の中で、上の映像がもっとも衝撃的でした。
”波”というよりも、海面全体が盛り上がって屋上に押し寄せてきています。
職員が生死を賭けて撮影したこの写真からは、何とも言えない恐怖感が伝わってきます。
もし、私が同じ状況にいたとしたら、シャッターを押す余裕はとてもなかったでしょう。
この状況の中で、よくぞ生還できたと思います。奇跡です。
この時点では、防災対策庁舎の1階部分までの水位です。まさか水位が屋上まで上昇しようとは。。。
以下(出所 msn 産経ニュース 2011.3.15 05.41)より
大津波15メートル、屋上の明暗 九死に一生 宮城・南三陸町長が語る
屋上に上がったのは避難ではなく、津波の様子を見るためだった。宮城県南三陸町。3階建ての防災対策庁舎を濁流が襲ったとき、町幹部と職員約30人が屋上にいた。第1波で約20人がさらわれた。残った10人はさらに押し寄せた7回の波に耐え、生き残った。
いまだに1万人の町民の行方が分からない。街路樹には地上から約15メートルの部分に漂流物がからみつき、3階建ての町営住宅の屋根には乗用車が乗っている。
11日午後。最初の揺れは佐藤仁町長が9日に起きた地震の話を挙げて町議会の閉会あいさつをしているときに起きた。横揺れに立っていられず、議場にいた約40人は机の下に身をかわした。
海辺の「南三陸ホテル観洋」のパート従業員、菅原つるよさん(65)は揺れがやんだ10分ほど後に海面が黒いことに気づいた。「養殖のワカメかと思ったら違った。水が引き、海底の黒い岩肌が見えていた」
佐藤町長は約30人の職員と庁舎屋上に上がり、300メートルほど離れた高さ7メートル以上の水門を波が越えるのを見た。「尋常じゃない」と思えた波は屋上を洗い、全員に襲いかかった。
「10人が丈夫な手すりに引っ掛かった。残る人はネットフェンスの方に流され、しがみついたフェンスと一緒に、波が引いたら消えていた」と佐藤町長。10人は高さ5メートルの2本のアンテナによじ登った。「無理やりぶら下がった。おれたちだけでも助かるぞ、と職員を鼓舞した」。ずぶぬれの10人の下を波が何度も何度も過ぎていく。近くに住む町職員の自宅2階から、この職員の妻が流されていくのを「10人とも、この目で見てしまった」。
1960年に起きたチリ地震大津波で家を流された佐藤いち子さん(78)は、高台に建て直した家をまた失った。水はチリ地震の時よりも2キロも奥地に入り込んだ。だれも、ここまで来るとは夢にも思わなかった。
本来は、2階建の庁舎が隣接しているはずなのですが、津波で消滅しています。
下の写真は私が撮影したものです。(2011年 4月 8日 撮影)
海側から見た南三陸町防災対策庁舎 水圧を受け鉄骨が曲がっています。
正面側 屋上部のフェンスも破壊されています。
正直、写真を撮ること自体憚れました。
お亡くなりになった人々にご冥福をお祈りし、手を合わせました。
バルマーさんのコメント
それが無理でも・・せめて水面に沈んだ屋上に取り残された人達にライフジャケットくらいあれば、まだ少しは助かる可能性も増えたのに、と思うと非常に残念です。