徳永商店は、確かな製材技術でお客様のニーズに的確に応える木材製品をお届けします。
日曜日の夕方
新しく出来た噂のパン屋さんに出かけてみた。
30台は入ろうかという駐車場はすでにほぼ満車の状態。
お店の玄関まで歩いて行くと、入り口のところにはすでに行列ができていたので、
私たちも最後列に並ぶことに。
店内にもたくさんのお客様がレジ待ちの行列を作っているために、
入場制限をかけているようだ。3台のレジで次々とお客をさばいているのだけれど。。。
長蛇の列はなかなか解消されない。
宮崎のパン屋さんで、並んで買うなんて初めての体験。
私たちが並んでいる間にも、次から次へとお客様がやってくる。
正直 ここまですごいとは想像していませんでした。
このお店の売り(魅力)は何なのでしょうか?
お店を見て思いつくことは、
「お店の看板であるように石釜焼きパンの珍しさ(宮崎市内初?)」
「購入したできたてのパンを店内・店外で食べられるようにイスとテーブルを設けている」
「パンの購入者にはコーヒー1杯無料のサービスがある」
「店員の笑顔の接客・商品を上手にすすめている」
「商品の回転率が高いために、いつでも出来立てを購入することができる」
「コストパフォーマンスがほどほど高い」
そして、もちろん
「パンがおいしい」
ということなのでしょうか?
本当の人気の秘密は他にあるような気がしてなりません。
今後、このお店がどんな感じになって行くのか、見守りたいと思います。
パンを買った私たちは、いつもの散歩コースに車を走らせました。
向かった先は、お気に入りのスポット 一ツ葉ビーチ。
穏やか天候の下、ミニピンを連れていつものように てくてくと散歩した ♪
この日の散歩の気分「君と歩いた青春」song by 風
ミニチュア ピンシャー
目線の先はバンクーバー 見事なフィニッシュで 金メダル!
一昨日の日曜日は宮崎市の中心部を流れる大淀川沿いを散歩しました。
市役所下の河川敷駐車場に車をとめ、川の上流に向かうコースを選択。
大淀川の川岸でまどろむ鴨を眺めたり、通りすがりの犬連れの人たちと挨拶を
交わしたりしながら歩いていると、あっという間に1時間が過ぎてしまいます。
風もなく、寒くもなく、穏やかな散歩日和でした。
途中からは流れる雲を追いかけ、この雲は何の形に似ているなんて想像したり、
昔のことを思い出してみたり、自分だけの時間を過ごしました。
時にはこういう時間も大事です。
帰りの車に乗り込む頃には、5時過ぎになっていましたが、
まだ日は高く、青い空が楽しめました。
ワシントンパームツリーの先にはHotel Californiaの建物が見えてきそうです。
宮崎にはカリフォルニアの雰囲気が似合います。
*ホテルカリフォルニアのLPジャケットで使用されたホテルは、ロサンジェルスに実在する
ホテルです。正式なホテル名は(調べたら The Beverly Hills Hotelという名称でした)
10年前に現地でちら見したことがあります。
Eagles "Hotel California" ( presented by You Tube)
「ベトナム」という言葉で、最初に思い浮かぶのはベトナム戦争(wikipedia)です。
ベトナムは古来から中国やフランス等に長い間占領されていた歴史をもち、
他国からの干渉を絶えず受けつづけた国です。
中でも1960年代 ?75年に渡るベトナム戦争は、私たちの記憶に残る戦争です。
そのベトナム戦争の歴史を語る ”バオタン・チュンティック・チェンチャン”
(戦争証跡博物館)を訪れました。
戦争で実際に使用されたアメリカ軍の戦車、戦闘機、ヘリ、機関銃、銃弾、爆弾に始まり
アメリカ軍が散布した枯れ葉剤に関する被害状況、数々の凄惨な写真など、
数多くの戦争資料が展示されています。
博物館を歩きながら感じたことは、戦争の怖さと平和であることのありがたさです。
テレビに映る戦場風景、戦争を描いた映画等では決して知ることの出来ない
現実がそこにはありました。
現在の平和な日本で暮らしている私達が感じる事のない「戦争の真実」
もし、自分がそのような環境に投げ出されたとしたら、どう振る舞えるのか。
戦争の現実を知った私は、正直想像する事ができません。
戦争は殴り合いのけんかとは意味が違います。
ベトナムを訪れる予定があるかたは、是非この博物館に足を運んで自分の目で真実を確かめて下さい。
戦争証跡博物館 入口
アメリカ軍 ベルヘリコプター(ベトナム戦争当時のもの)
枯れ葉剤 散布リスト
左から
(散布された地名、エリアの面積(km2)、その内散布された面積(km2)、%、人口、
散布された場所にいた人口、%)
の数字が並んでいます。
備考 ベトナム戦争小説 開高健 「輝ける闇」(新潮文庫) おすすめです。
12月8日は元ビートルズのリーダー ジョンレノンの命日です。
1980年 12月8日
ジョンはNYのDAKOTAハウス(セントラルパーク近くの自宅マンション)の前で
車から降り、マンションの玄関へ数歩歩いたところを、マークチャップマンから、
数発の銃弾を受け亡くなりました。
その訃報をNHKニュースで知った私は、とても驚きましたが、
まだその時は、ひとつの事件(出来事)程度くらいの思いしかなく、
悲しむまでには至りませんでした。
翌日、学校で同じクラスのK君(ジョンレノンのファン)にその話をしたところ、
彼はまだそのニュースを知らなかったらしく、「えー信じられない、嘘だろ、嘘だろ」
と発し、しばらくは現実を認識することが出来ないくらい狼狽していました。
それほど、ファンにとっては、とてもショッキングな事件でした。
何故だか、その時のやりとりは今でもカラー映像のように鮮明に覚えています。
もう29年前も前の出来事なんですが。。。
その後 ジョンレノンは私にとってもアイドル的な存在となり、
音楽、ライフスタイルに心底共感し、最も敬愛する音楽家となりました。
今夜は ジョンの曲を聴きながら、昔の想い出にふけることにしよう。
John Lennon "Happy Xmas"
England reacts to John Lennon's death
John Lennon dead - All you need is love
ABC Nightline News - on death of John Lennon
LP "Double Fantasy" with signed by John and Yoko released in 1980
今回の旅は、あまりお金を使う予定はありませんでしたので、
USD 200と日本円を少し持って行きました。
ただ、市場や商店でちょっとした買い物をする時には、現地通貨のドンがあった方が
便利かと思い、1万円を市場近くの両替所でドン(Dong=VDN)に換えました。
そのときの両替所のレートでは、
10,000円 = 2,000,000 VDN (50,000 VDN紙幣 x 40枚)でした。
200万ドン分の紙幣を渡されると、なんだかすごいお金持ちになった気分になります(笑)
なじみのない通貨だったので、レート換算に多少戸惑いましたが、
50,000 VDN = 250 円と考えると、かわりやすいですね。
では、現地の物価の目安をいくつか
1 私たちが訪れた工場の平均的な日給は 約 80,000 VDN = 400円
2 PHOのチェーン店で食べた フォー1杯 34,000 VDN = 170円
(ただし、このお店の価格はちょっと高めです。普通の店は100円以下でしょう)
3 現地のサラリーマン?が行くようなビアレストランで 結構飲食した時の代金が
約 200,000 VDN = 1,000円/1人
4 サウナ付き 90分のマッサージ 140,000 VDN = 700円
日本とベトナムの物価の比較は別としても、人件費の差の大きさについては考えるものがありました。
同業種の現地の会社が、従業員100人雇用した場合、人件費 約100万円/月。
これが、日本で同じ社員数を雇用すると 2000万円 ? 3000万円/月。
この差の違いは一体何を意味しているのでしょうか。
一人当たりの生産性の違い? 働く人の能力の違い? 労働に対する意識の違い?
それぞれの国の物価の違い? それとも、それぞれの国の労働人口のバランスの問題でしょうか?
12万円の年収で、決して裕福とは言えない生活でも、人々の笑顔が絶えない国。
片や、その数十倍の所得があっても、将来に希望が持てず幸せを実感できない国。
この現実。
将来への夢と希望を持てる国と持てない国。
この差の意味を私なりに咀嚼し、今後の経営に活かして行きたいと考えています。
両替所にて
50,000 VDN紙幣
つづく