徳永商店は、確かな製材技術でお客様のニーズに的確に応える木材製品をお届けします。
口蹄疫問題がなかなか収束しない。
宮崎県民の生活に大きな影響を及ぼしています。
一刻も早く、青い空が似合う宮崎に戻って欲しいと願う日々です。
海へとつづく小径
小径を通り抜けると
そこには青い海と空が広がっていました。宮崎の自然は美しいと感じる瞬間です。
宮崎には、こんな素敵なところが身近にあります。
愛と風のように?(ケンとメリーのスカイラインCM) バズ
伸びやかに、しなやかに、愛と風のように
(撮影場所 宮崎県 新富町 富田浜海岸)
小曽根 真(おぞね まこと)
日本を代表するJAZZ ピアニスト。
霧島みやまコンセールで開かれた小曽根 氏と Gary Burton 氏(ヴィブラフォン奏者)のデュオコンサートに行ってきました。素晴らしいの一言です。小曽根氏の演奏については言うまでもないのですが、Gary氏の演奏技術の高さには舌を巻きました。
Gary Burton & 小曽根真 ”Afro Blue”
Gary Burton & 小曽根真 ”Tango”
Gary Burton & Pat Metheney ”Autumn”
みやまコンセール
開演前のコンサートホール
コンサート終了後に、小曽根氏とGary氏にサインをいただきました。
一生の宝ものです。
近頃ちいさな幸せを感じる機会が増えています。
昨日、事務所前のシマトネリコ(樹木の名前)の木の下で、一羽の小鳥がばたばたと弱々しく羽ばたいていました。
近くに寄ってのぞき込むと、かなり衰弱している様子だったので、保護することにしました。少量の水をストローでくちばしのところに持って行くと、幸いにも飲んでくれましたが、小鳥のえさは食べようとしませんでした。とりあえず、仮の巣箱の中に小鳥を置いて様子を見ることに。小鳥は数時間のあいだ、巣箱の中でじっとしていましたので、大丈夫だろうか?と思っていましたが、昼前にのぞいた時に、自ら羽ばたいてガラス窓の方へ飛びたちました。ある程度、体力も回復したと判断し、放鳥することに。
幸せを運んでくれる青い鳥は無事に飛巣立って行きました。元気でね!
Music Paul McCartney & Wings "Bluebird"
仮の巣箱
放鳥する前の写真 緑色のかわいらしい小鳥です。そっと握っていると、小鳥の体温が伝わってきます。
一昨日弊社のホームページを見られたお客様から木材のご注文をいただきました。お店の改装用に木材を使用されるとのことでした。そして昨日、お客さまが木材の引き取りに来られたときに、お店のオリジナルsweetsをいただきました。木材をご購入して頂いた上に、おみやげまでいただくなんて恐縮です。ありがとうございました。
手作りのお菓子の良さは、作り手の気持ちが商品を通して伝わってくることです。心を込めて焼き上げたお菓子をひとつひとつ袋詰めして、ラベルを貼って、封をする。実際のキッチンを見なくても、きっと、こんな風にして作っているんだろうなって想像できるんですよね。
お菓子をいただいたのは
Dining & Bar MONAURALさんです。
宮崎市青島2丁目8−28
TEL 0985 - 71 - 1755
東国原英夫氏の存在を知ったのは、もう30年も前のことになる。
私が高校一年生の時だった。
中学の頃からラジオの深夜放送を聴くようになった私は、高校入学後もその癖が抜けずに、ながら勉強(と言ってもリスニングの方に集中)をよくしていた。中でもよく聴いていたのが「オールナイトニッポン」という深夜放送番組。曜日ごとに様々なパーソナリティーがDJを担当する人気番組だった。その時のパーソナリティーを今思い出してみると。。。
(一部に記憶違いがあるかもしれませんが)
月曜日 中島みゆき
火曜日 松山千春
水曜日 タモリ
木曜日 ビートたけし
金曜日 ?
土曜日 鶴 光
今では考えられないような、錚々たる面々。
ビートたけし氏の第1回目の放送を偶然聴いてしまった(笑)私は、放送内容のあまりのすごさ(過激さ)に大きな衝撃を受けてしまい(内容のすごさはここでは割愛します)おかげ様で毎週ラジオを聞くはめになってしまった(笑)。
そして、その番組の何回目かに登場したのが「東国原英夫」氏である。
では、どういう内容だったかと言うと。。。。。
放送の内容を、アバウトな記憶を元に再現すると。。。
(以下たけし氏談)
「ある時、東国原という男が俺のところにやってきて『私を弟子にして下さい』と土下座して言うんだよな。俺も困っちゃったんだけどよ、まあおもしろそうだから、俺の弟子としてふさわしいかどうかを確かめるための試験を番組内でやることにしたんだよ。東に、おれの本を(ツービートの本)をリュックにいっぱい背負って、無銭で東京から大阪までヒッチハイクで行くという企画なんだよ。。。。」
ということで、東国原氏はツービートの本を背負って、ヒッチハイクの旅に出るはめに。
毎週生放送の番組の中で、『師匠? 今どこどこまで来ました?』なんて話していましたっけ。
その放送を聴いていた私は、大人になってこんなことさせられるなんて、何て可哀想なんだろう?と哀れんでいました(笑)。
ところが、その人物が、今では宮崎県の知事として、不眠不休で宮崎県のために日々尽力している。人の人生どう変わって行くのかわからないものだ。ただ言えるのは、東国原氏が漫才師そして政治家になったのは偶然の産物ではないということである。自らの目標に向かって、ひたむきに努力した成果なのである。
※ ボーイスカウト宮崎県連盟創立50周年記念式典でご挨拶をいただいた時の写真です。
知事としての貫禄があります。挨拶も上手です。さすがです。
『宮崎県庁 知事室』 東国原知事が執務を行っている部屋です。
椅子の左側のハンガーには、知事のトレードマークのシャンパーが掛かっています。
さりげない演出?に知事の気配りを感じます。
(一般公開日に撮影しました。)